名和民夫(なわ・たみお)
1985年ミズノ入社。久保田五十一を師と仰ぎ、バット作りの技と心を磨き続けるクラフトマン。久保田の引退後は培ってきた経験を礎に、自ら手がけたバットをプロ野球界に送り出し続けている。2009年よりイチロー選手のバット製作を担当。

もっと偉大な記録を打ち立ててもらえるよう、
覚悟を持ってバット作りに取り組みます。

2008年にイチロー選手がミズノの大阪本社を訪れた際、「今後は彼がイチローさんの仕事を継ぐことになります」と久保田名人からイチロー選手を紹介いただきました。それが初めての出会いですね。そのときイチロー選手から言われたのが「相当な覚悟を持って仕事をしてください」という言葉。それは今でも忘れられませんし、相当なプレッシャーでしたよ。ただ、帰り際に新大阪の駅のホームで久保田名人から「一人でプレッシャーを背負うことはないよ。俺もサポートしていくから」と声をかけていただいて。それで少しは気持ちが楽になりました。 イチロー選手のバット作りも、当初は久保田名人との二人三脚でしたね。年間100本近くのバットをイチロー選手にお渡しするのですが、最初の頃に僕が手がけていたのは、その中の数本程度。それから徐々にバットを作る本数を増やしていったのですが、久保田名人から「これはダメだ」と怒られたことは何度もありましたよ。よく言われたのが「イチロー選手が好むような雰囲気のある木を使え」と。木は育った場所が違うので一本一本違いますよね。じゃあ、この木はイチロー選手に向いているのか? という話は久保田名人との間でつねに交わしていました。
バット作りで難しいのは、作り手の僕が納得しても仕方がないということ。やはり選手に納得いただかないと意味がありませんからね。ですからイチロー選手の試合をテレビで見て、バットの握り方や握る位置などから材料に問題がないかなどを日々チェックして。打てないときには当然気になりますし、打てたときはホッとしますし、それがまた次の仕事の糧になるんです。ご存知のようにイチロー選手はバットの形状を変えない方。それを正確に再現し、同じバットを作り続けることがいかに難しいことなのかを僕はイチロー選手から教わったような気がします。
イチロー選手との嬉しい思い出といえば、やはり僕の作ったバットで数多くの偉大な記録を達成されたこと。職人冥利に尽きますし、イチロー選手が仮に50歳まで現役を続けられるのなら、その間ずっと僕が期待に応えるバットを作り続けたいと思っています。イチロー選手がもっと活躍して、さらなる記録を打ち立てられるように。

久保田五十一(くぼた・いそかず)
1943年岐阜県生まれ。1959年にミズノに入社すると同時に、バットの削り加工作業に一貫して従事。1965年からプロ選手担当となり、 イチロー選手のみならず数多くのプロ選手から信頼を集める。2003年「現代の名工100」受賞。2005年「黄綬褒章」受章。2014年退社。

球史に残る快挙を成し遂げた選手の、
バット作りに携われたことが幸せです。

私が初めてイチロー選手と会ったのは、オリックス入団2年目の秋でした。当時イチロー選手は、巨人で活躍していた篠塚選手と同じ形状のバットを使っていたのですが、ヘッドが少し重い感じがする、という相談を受けたんです。そこで私の提案でバット先端15センチくらいを0.5ミリ細く削ってみたところ、その場でスイングされて「これでぴったりです」という返事をいただきましてね。 それがご縁でイチロー選手のバット作りを手掛けるようになりました。そのときに作ったバット形状は、現在イチロー選手が使っているバットとまったく同じもの。これほどバットを変えない選手は非常に珍しいですよ。私も50年以上この仕事に携わってきましたが、そういう選手は過去3人ほどしか記憶にありません。
ただ、ずっとバットを変えないのもすごいことだと思いますが、作り手側からすれば、変わらないバットを作り続けることも大変で、とてもハードルの高い作業です。バットの良し悪しを決めるのは、素材が9割と言っても過言じゃありません。バットの原木が100本 あっても、プロ仕様のバットに適した良い音のする木はわずか1本か2本程度。たとえその木でバットを作っても、木は自然の産物ですから100本作れば1番から100番までの仕上がり順位がどうしてもついてしまいます。我々の技術でカバーできるのは、実際はほんの少しの部分だけなんですね。
だからイチロー選手にバットをお渡しするときは、ご本人に不愉快な思いをさせないかと、つねに不安しかありませんでした。お会いするたびに「今年のバットはどうでしたか」と聞くと「良かったです」という言葉を毎回いただいて、それで心の中の不安は一旦消えるんですけど、また翌年になれば不安になって…。当時は毎年がその繰り返しでしたが、そういう不安があったからこそ、不安が残らないような仕事をしようと集中力が持続できたんだと思います。
野球というスポーツが始まってもう150年以上は経ちますが、4000本以上のヒットを打った選手なんて、歴史上たった3人しかいないんですよ。そのような選手のバットを作ることができたというタイミングというかご縁に私は感謝したいですし、職人として本当に 幸せ者だったなあと感じます。

岸本耕作(きしもと・こうさく)
1957 年兵庫県生まれ。1976 年にミズノへ入社後、地元の波賀工場(現ミズノテクニクス波賀)へ配属。名匠・坪田信義に師事し、現在は「グラブマイスター」というグラブ作りにおけるミズノ社内最高位の資格を持つ。

坪田名人の作じゃない自分流のオリジナル。
イチロー選手のグラブはつねに進化しています。

私が坪田名人からイチロー選手のグラブ作りを受け継いだのは、確か2006 年でしたか。アメリカに飛び、初めてご本人に私の作ったグラブを手渡したとき、もう緊張を通り越していましたね。グラブって使っているうちに手に馴じむことも多いんですけど、イチロー選手は第一印象が悪いと絶対にそのグラブを使わないという話も耳にしていましたし。全部で6 つのグラブを持って行ったのですが、イチロー選手がグラブに手を入れると、どれも「はあ?」という感じの顔で首を傾げられて。これはダメとは言わないのですが、イチロー選手ならではの言葉と言いますか、ストレスを感じますと感覚的な表現をされまして。私からすれば、同じ型紙から同じフォルムのものを作っているんですけど、イチロー選手は手にした瞬間に微妙な違いも分かるんでしょうね。とにかくショックでしたよ。それからグラブをもう数え切れないほど作り直しました。いつでしたかイチロー選手から、今回は大丈夫ですか? 見るのが怖いです的なことを言われて、そのときは背筋が凍る思いをしましたね。 そんなときフッと思ったのが、私が坪田名人のグラブ作りを真似するからダメなんじゃないかと。同じ人間が3 つのグラブを作っても、手作業ですから3 つとも違う顔になることもあります。ましてや違う人間が坪田名人のグラブを再現するのは到底無理な話。そこで開き直って、私にしかできないイチローモデルを作ろうと思ったんです。そうするとイチロー選手がグラブを手にした際の表情も徐々に変わってきまして。2007 年のオールスター戦直前に「これ試合で使ってみます」と、ようやくグラブを受け取ってもらえました。その翌年には私と波賀のチームで作り上げたグラブを1 シーズン通して使っていただき、ゴールデングラブ賞も受賞されて…。あれは本当に嬉しかったですね。
イチロー選手に最初ダメ出しされたグラブは今でも工場に残しています。その初心を忘れずに、かつてないグラブを作ってみたいですね、いつか。イチロー選手や他のグラブ職人があっと驚くようなものを。

坪田信義(つぼた・のぶよし)
15 歳でミズノへ入社してから約60 年間に渡り、ミズノのグラブ品質を支え続けてきたグラブ作りの名人。担当したプロ野球選手は約200 人、メジャーリーカーからはマジックハンドの愛称で讃えられてきた。1998 年「現代の名工100」受賞。2000 年「黄綬褒章」受賞。2008年退社。

イチロー選手のプレーを想いながら作ると、
自然といい顔のグラブが生まれるんです。

イチロー選手のグラブ作りを私が手がけ始めたのは、あの日本球界初の200 本安打を達成した、1994 年のシーズン以降からでした。ただイチロー選手の側からすれば私との付き合いはとても長いらしく、子どもの頃から私の名前を知っていて、小学6 年生の時点で私の作った特注グラブをすでに使ってくれていたみたいなんです。当時でもグラブの特注品は高額だったと思いますが、それでも憧れの信義作のグラブが欲しかった、と。その話を本人から直接聞いたとき、もう本当に嬉しかったですね。 私がイチロー選手のグラブを作るときは、つねにイチロー選手のプレーを思い浮かべて、手や指の感触を確かめていくんです。イチロー選手のプレー映像はちゃんと頭の中にありますし、印象深いプレーをした試合の記事は新聞を切り抜いて全部残していましたから。そのイメージ通りにできたグラブはとてもいい顔に見えますし、イチロー選手がファインプレーをする映像も自然と頭にフラッシュバックするんですよ。
ちなみにイチロー選手のグラブは「柔らかくて」「軽くて」「よく開く」のが特徴。しかし、基本的に開きすぎるグラブというのは選手から敬遠されることが多いんです。せっかく腕を伸ばして小指の先で何とか打球を捕らえたとしても、開きすぎるがゆえに結果ボー ルを逃してしまう場合もありますから。いわば、それを扱いきるだけの高い技術がイチロー選手にはあるということなのでしょうね。
私は2008 年にミズノを退職したのですが、いちばん最後に作ったのもイチロー選手のグラブでした。「私の生涯最後の作品として作りました。どうぞ受け取ってください」という内容の手紙を添えてアメリカに送ったのですが、それをイチロー選手がゲームで使うことは一度もありませんでしたね。ただ、のちにアメリカの新聞に掲載されていたイチロー選手のコメントで、私が送ったグラブは「幸運を呼ぶお守り」として自宅に飾っているという記事を見まして。ものすごく感動しました。モノ作りに携わる者にとっては最高の言葉ですよ、本当に。