米国の野球文化に感銘を受けた創業者の水野利八は、日本で野球を広めるべく、動きやすく快適な着心地を目指し運動用ウエアの製造を開始した。
ミズノが初めて手がけたシューズ。当初、わずかな技術と知識のもとで製造されていたため、現在のような歯はついておらず、全体が革で覆われた重いブーツ形状のものだった。
ミズノが野球グラブの販売を始めた1913年当初の販売価格は約2円。創業者の水野利八は、自らデザインしたグラブを職人と製作していた。
1920年に来日のアメリカ職業野球団の選手たちが着ていたことから、オーバースエターが野球好きの学生たちの間で流行。すぐに一般にも広まり、爆発的なヒット商品となった。
一人前の職人の日給が1円前後のこの時代に、ヒッコリースキーは1台30円ほどであり、富裕層に限定されたものだった。戦後、生産手段の一変、合理的な機械化の推進や研究開発に力をいれ、スキー人口の拡大に貢献した。
ミズノが初めて陸上スパイクの生産を開始した当初、素材には革が用いられ、長く重いピンが使用されていた。この頃から多くのトップアスリートに支持され続け、今日への形へと成長してきた原点となるアイテム。
ミズノ初の国産ゴルフクラブ。また、このモデルはミズノの最初の鋳造アイアンであり、今も尚受け継がれている重要な技術である。
当時、野球グラブはポジションに関係なく同じものを使用していた。ポジションによって異なる捕球方法を必要とする野球の動作に着目し、キャッチャー・ファーストの「捕る」動きに焦点を当て、世界で初めてミットの開発を行った。
創業30周年を記念してグライダーの製造を開始。技術陣は悪戦苦闘の末、富士山でのテスト飛行に成功。1940年には『301型ソアラー』が高度・滞空の日本新記録を樹立した。
終戦直後、それまで野球グラブの製造に使用していた革の入手が非常に困難になった。そんな中、「日本が暗くなっている今だからこそ、スポーツの力が必要だ」という創業者の強い思いのもと、布製の野球グラブが製造された。
1946年頃の終戦直後から、ミズノは自社工場においてテニスラケットの試作を開始。翌年には設備を増強し本格的な製造を開始し、1950年代に入ると従来の木材に加えてFRP材の研究も進め、1952年にはテニス・バドミントンラケットの生産が10,000本程度にまで成長。
高級ゴルフクラブ『グランドモナーク』発売。同シリーズは、後の1977年に米国のゴルフ殿堂入りを果たした。
競技用シューズからデイリーユースのカジュアルシューズまで、『M-LINE』の名のもと、一世を風靡した当時のミズノシューズ。1975年にはMの形状が進化したNEW M-LINEが誕生した。
ワールドウィンの野球グラブは、当時の市場において高級グラブの代名詞となった。契約選手の意見を多く参考にし、開発を進めた。カップマークは当時のミズノの象徴として、多くの野球選手に親しまれていた。
かつて世界チャンピオンとなった有名ボクサーの足元を支えていたM-LINEのミズノ製ボクシングシューズ。2015年、この伝統を受け継ぎ世界で新たなチャンピオンが誕生し、話題を呼んだ。
瞬間的な突っ込み、急停止、急激な方向転換など、多彩な動きへの対応を考慮したM-LINEフットボールスパイクの代表格。軽量な材質を用いることで、激しいプレーの連続にも疲れを少なく、軽快なフットワークを実現させた。
世界で初めて、カーボンをヘッドに採用したゴルフクラブを開発・発売。
「惑星の軌道」を表現したシューズのマーク。その姿から「ランバード」と命名され、現在ではミズノの企業ロゴでもあり、ブランドを象徴する重要な役割を担っている。
当時としては超軽量の片方245gのシューズとして世界に向けてデビュー。「軽量・柔軟・素足感覚」のコンセプトとともに、スキルレベルやポジションを選ばないシューズとして、多くのフットボーラーのポテンシャルをより一層引き出すべく誕生した。
当時、メジャーリーグに在籍していた両利きの選手の要望を受け、企画・製造したグラブ。試合中でも左右に使い分けができるよう、親指を収納するポケットを両側に備え付け、ウェブをグラブの中心に配置した。創業当初から変わらないミズノのチャレンジ精神を表したアイテム。
当時の有名女子プロテニスプレーヤーが使用していたことから世に知れ渡り、大ヒットを遂げたモデル。2種類の特殊素材が腕に伝わる衝撃と振動を吸収し、負荷を軽減させる機能が備わったモデル。
世界で初めて、チタンをヘッドに採用したゴルフクラブを開発・発売。
ミズノプロが目指したのは、機能・品質・素材など、すべてにおいて頂点であること。当時の現役選手の多くのサンプルの中から最も自然な形を生み出し、緻密な計算のもとで設計されたことから、当時「人間の手に一番近く、その本来の動きに最も忠実なグラブ」として位置づけられた。
100m、当時の世界新記録9.86sを樹立したスパイク。選手だけでなく、「世界記録が出せるシューズを作りたい」という夢を持ちミズノに入社した開発者がその夢を叶えた瞬間でもあった。
人の皮膚から出る水分に反応し、衣服内で発熱する基幹素材。当時はウィンタースポーツに向けた開発が行われ、近年それはデイリーユースへと進化を遂げている。94年 ミズノが合成繊維の吸湿発熱素材『ブレスサーモ』を使用したウエアを発売。95年 ミズノが日本国内で初めて吸湿発熱素材の特許を取得。
バイオメカニクスに基づき、それまでの常識からは考えられなかった「野球スパイクを9本歯にする」という発送で注目をあびた。今では世界中で当たり前とされている9本歯のパイオニア。
クッション性と安定感という二律背反を克服した「ミズノウエーブ」という波形のプレートを開発。これを搭載したランニングシューズ「ウエーブライダー」は、現在ではミズノを代表するシリーズとなっている。
※写真は98年カタログモデル
「軟式ボールは柔らかく、バットは固いため、軟式ボールは遠くに飛ばない」という常識を根本から覆した革命的なバット。打球部分に柔らかい特殊樹脂を採用することで、軟式野球では考えられなかった飛距離を実現した。
ミッドソールスポンジを削減し、ミズノウエーブの機能を最大限に発揮する「インフィニティウエーブ」。クッション性・安定性・反発性と共にへたれにくさを大幅に向上。
世界のトップアスリートの足元を支えるべく、実際に選手と二人三脚でともにつくりあげたシューズWAVE IGNITUS。特殊な無回転キックを蹴りやすくするための特殊なパネルの開発に力を注いだモデル。
直線方向への加速をサポートするだけでなく、スピードを保ったままの高速ターンがしやすい設計のフットボールスパイク。シューズ名の「BASARA」には暴れまわる・派手に振舞うといった意味があり、多くのプロ選手も着用しているモデル。
ミズノのバレーボールシューズとして多くのトップアスリートから一般のプレーヤーにまで高い評価を受けてきたWAVE LIGHTNINGシリーズの初代モデル。
素材や製造工程など、シューズ作りにおける全てに最大限の力を込めた「モレリア」。2015年、30周年を迎えた今もそのデザインや形は大きく変わっておらず、その伝統が受け継がれている。