沿革 - HISTORY -

1900年代

創業と日本スポーツ文化への第一歩

1906年、水野兄弟商会の創業を起点に、ミズノの歩みが始まりました。スポーツ用品を通じて人々の挑戦を支え、日本のスポーツ振興へとつながる礎がこの時代に築かれます。

1906

水野利八が弟の利三と大阪北区で「水野兄弟商会」創業

1910年代

大会開催を通じたスポーツ普及の時代

野球や庭球などの大会開催を積極的に進め、競技の普及と発展を後押しした1910年代。用具の提供だけでなく、競技の場そのものをつくる存在として社会に関わり始めました。

1911

「大阪実業団野球大会」(現在の都市対抗野球の母体)を美津濃商店が開催

1913

「関西学生連合野球大会」(現在の全国高校野球の母体)を美津濃商店が開催

1916

「東京実業団野球大会」を美津濃商店が開催
硬式野球ボールの規格化を提唱

1917

「関西学生連合野球大会」の春大会(現在の全国選抜高校野球の母体)を美津濃商店が開催

「全国実業団優勝野球大会」を美津濃商店が開催

1919

「東京実業団庭球大会」、「大阪少年野球大会」、「東京少年野球大会」開催

1920年代

組織化と国際舞台への広がり

株式会社化を経て事業基盤を強めるとともに、国際大会への用具・ウエア納入も開始。国内の競技振興に加え、日本選手の国際舞台での活躍を支える歩みが本格化した時代です。

1923

「美津濃運動用品株式会社」に組織変更

1924

第8回オリンピックパリ大会から、美津濃が日本選手に対して用具、ウエアの納入開始

1927

ヒッコリースキー発売、東京・大阪・京都に初のアマチュアスキークラブを設立

水野利八が紺綬褒章受章

1928

アムステルダムオリンピックにて、陸上800mで人見絹枝選手が美津濃品を使用し銀メダル獲得

1930年代

世界記録と金メダルを支えた挑戦

美津濃に関わる選手たちが世界新記録を樹立し、オリンピックでも金メダルを獲得。競技者とともに高みを目指す姿勢が実を結び、ミズノの技術と信頼が国内外で高まりました。

1931

美津濃社員の南部忠平選手が走り幅跳びで7m98の世界新記録、織田幹雄選手が三段跳びで15m58の世界新記録樹立

1932

ロサンゼルスオリンピックにて、美津濃社員の南部忠平選手が金メダル獲得

レークプラシッドオリンピックにて、日本選手団にスキーウエア納入

1940年代

戦後復興の中でスポーツを支える力に

戦後初の全国中学野球大会へのボール提供や、竹製ポールの開発などを通じて、復興期のスポーツ現場を支援。困難な時代にあっても、スポーツの再生と希望を下支えしました。

1946

戦後初の全国中学野球大会でボールを提供、「打てばゆがむ」の表記を依頼

1948

竹製の棒高跳び用のポールを製作、使用したアメリカのグイン・スミス選手がロンドンオリンピックで金メダル獲得

1950年代

復興から表彰へ、広がる社会的評価

日本の国際大会復帰を見守る中で、創業者・水野利八の長年の功績が各方面から表彰されました。競技振興への貢献が広く認められ、社会的な評価を一層高めた時代です。

1952

オスロオリンピック・ヘルシンキオリンピックに、日本がオリンピックに戦後初参加

1954

水野利八が日本社会人野球協会より表彰

1955

水野利八が全国高等学校野球連盟より功労賞受賞

1956

水野利八が藍綬褒章受章

コルチナダンペッツォ オリンピックにて、猪谷千春選手がスキー回転競技で銀メダル獲得

1960年代

東京大会とともに飛躍したブランド力

1964年の東京大会ではオフィシャルサプライヤーとして多くのスポーツ品を納入。国内外から注目を集める中、スポーツ振興を支える企業としての存在感を大きく高めました。

1964

水野利八勲五等双光旭日中章受章

水野利八が全従業員に25株ずつ贈与

東京オリンピックのオフィシャルサプライヤーとして、聖火リレーランナーユニフォーム他、日本選手団の公式ウォームアップスーツなど約20万点のスポーツ品を納入

1965

第1回美津濃プロ新人ゴルフ大会開催

第1回グランドモナークゴルフ大会開催

昭和天皇・皇后両陛下が養老工場に行幸啓

1969

美津濃の一社提供テレビ番組「ミズノスポーツアワー」スタート

1970年代

財団設立とスポーツ支援の本格化

1970年に水野スポーツ振興会が設立され、スポーツ支援活動が新たな段階へ。大会開催や国際交流財団の設立など、競技の発展と人材育成を支える取り組みが広がっていきました。

1970

「財団法人水野スポーツ振興会」設立

「第1回美津濃ゴールドカップ・ゴルフ全国大会」開催

1971

水野利八が野球殿堂入り

「第1回美津濃トーナメント・ゴルフ」開催

1972

札幌オリンピックのオフィシャルサプライヤーとして、スタッフユニフォーム全体の約85%にあたる83,000点納入

1973

水野利八の伝記『スポーツは陸から海から大空へ』発刊

1975

「美津濃LPGA ジャパン・ゴルフクラシック」開催

1976

水野健次郎が紺綬褒章受章

1977

美津濃ゴルフクラブが米ゴルフ殿堂入り

「財団法人水野国際スポーツ交流財団」設立

1978

水野健次郎が藍綬褒章受章

1980年代

国際大会支援と企業ブランドの拡充

モスクワ、サラエボ、ソウルなど数々の国際大会で選手や大会運営を支援。コンサート開催や社名表記の統一も進み、スポーツと文化の両面から社会に貢献する姿勢が鮮明になりました。

1980

水野健次郎が紺綬褒章受章

モスクワオリンピックのオフィシャルサプライヤーとして、選手村内にサービスショップを開設・聖火リレーランナー及び6,200人のユニフォーム、シューズなど納入

1982

第1回「ミズノ・オピニオンズ・コンサート」開催

1984

水野健次郎がレジオン・ドヌール勲章受章、オリンピック・オーダー受賞

サラエボオリンピックのオフィシャルサプライヤーとして、聖火リレーランナーのユニフォーム一式2,000セットとトーチ2,000本納入、選手村内にサービスセンター開設ど納入

ロサンゼルスオリンピックにて、日本選手団に公式トレーニングウエアを納入、他女子バレーボールシューズ、柔道着、男子体操ウエアなど約3,000点のスポーツ品を納入
中国、米国のバレーボールチームをはじめ、世界15カ国の選手がミズノ品を使用

1986

第2回「ミズノ・オピニオンズ・コンサート」開催

水野健次郎が勲三等瑞宝章受章

1987

社名表記を「ミズノ」に統一

1988

カルガリーオリンピックにて、各国選手団に約2,000点のスポーツ品納入
ミズノ社員の浜谷公宏選手がスピードスケートの日本代表として出場

ソウルオリンピックのオフィシャルサプライヤーとして選手村にトレーニングセンターを開設、水泳レーンライン・水球ゴール・ネット、野球ボールなどを納入

1989

「第1回ミズノTOKYO オープン・ゴルフトーナメント」開催

ミズノトラッククラブ発足

1990年代

環境・文化・国際大会へ広がる取り組み

スポーツメントール賞の創設、環境活動の開始、冬季・夏季の国際大会への継続的な支援など、多面的な展開が進んだ時代。スポーツを軸に、社会・文化・環境へと活動領域を広げました。

1990

水野健次郎著『私の履歴書 全人間への旅』発刊

1991

水野健次郎が紺綬褒章受章

財団法人水野スポーツ振興会が日本体育協会、日本オリンピック委員会との共催で「ミズノ・スポーツメントール賞」「スポーツライター賞」を新制定

1992

南港に本社を移転、ミズノクリスタ完成

「ミズノ地球環境保全活動」(Crew21)活動開始

アルベールビルオリンピックにて、日本、アメリカ、旧ソ連、ドイツなどのスピードスケートチームにウエアを納入 ・世界13カ国のチーム、選手にスポーツ品を納入

バルセロナオリンピックのオフィシャルスポンサーとして選手村をはじめ各競技場付近20数箇所にトレーニングセンターを開設し、全マシンを納入すると共に運営を行なう

1994

リレハンメルオリンピック組織委員会および日本オリンピック委員会と「第17回オリンピック冬季競技大会」の日本国内でのオフィシャルスポンサー契約締結
「ブレスサーモ」を東洋紡と共同開発、リレハンメルオリンピックにて、全日本ナショナルチームの公式ユニフォームに採用

1996

第4回「ミズノ・オピニオンズ・コンサート」開催

アトランタオリンピックにて、35カ国1,800人の選手が用具を使用する。日本代表選手団オフィシャルウエアをミズノ1社にて提供

1998

「全英への道〜ミズノオープン」を瀬戸内海ゴルフ倶楽部で開催

長野オリンピックにて、ゴールドスポンサー契約を締結、公式呼称の使用権、エンブレム、マスコットの使用権を獲得、聖火リレーランナーユニフォームを約42,000人分納入
国際オリンピック委員会と公式サプライヤー契約を締結、メンバー、スタッフ約440人にウエアなど納入

1999

「全英への道 ミズノドリームカップ」開催

2000年代

世界と未来へつなぐ100周年の歩み

シドニー、アテネ、北京など国際大会への支援を続ける一方、創業100周年を迎えた2006年には次代への歩みを明確化。競技団体や選手を支えながら、未来へ向けた基盤を整えました。

2000

シドニーオリンピックにて、オフィシャルプロバイダー契約締結
野球、ソフトボール、柔道の用具などを納入、日本代表選手団表彰台ウエア提供

2001

水野スポーツ振興会、水野国際スポーツ交流財団が「第4回IOC スポーツ環境世界会議」共催

水野正人社長が「オリンピックオーダー」受賞

2004

水野正人が藍綬褒章受章

水野正人が「世界オリンピアンズ協会」から表彰

アテネオリンピックにて、ミズノトラッククラブから5名が出場、日本の13競技団体のサプライヤーとして、ウエア・シューズなどを納入

2005

陸上クラブチーム「チームミズノアスレティック」発足

2006

ミズノ創業100周年記念事業実施

トリノオリンピックにて、日本スキー・スケート連盟のサプライヤーとしてナショナルチームの公式ユニフォーム納品
Breath Thermo品を中心としたショップをミズノのイタリア代理店、ALTO社と共同で展開

2007

「ミズノスイムチーム」発足

2008

北京オリンピックにて、日本選手団表彰台ウエア・開会式ウエア提供
全ての競技の用具をミズノランバードマークで統一して迎えた初めての大会
日本の17競技団体のサプライヤーとして、ウエア・シューズなどを提供

2010年代

財団統合と多様なスポーツ支援の深化

2010年、二つの財団が統合しミズノスポーツ振興財団が発足。国際大会での選手活躍や各種パートナー契約を通じて、国内外のスポーツ振興をより総合的に支える体制が整いました。

2010

「ミズノスポーツ振興会」と「ミズノ国際スポーツ交流財団」が合併して「ミズノスポーツ振興財団」設立

水野正人が「国際フェアプレー賞」受賞

長年のオフィシャルワークショップカーでの活動で、水野正人会長、水野明人社長に欧州ツアー機構より終身名誉副会長の称号授与

バンクーバーオリンピックにて、アルペンスキー2種目でクロアチアのイヴィツァ・コステリッチ選手がミズノワンピースで銀メダル獲得

2012

ロンドンオリンピックにて、ミズノスイムチーム寺川綾選手が銅メダル獲得

2013

東京オリンピック招致委員会とオフィシャルパートナー契約

2014

ソチオリンピックにて、スキージャンプ男子ラージヒル個人で葛西紀明選手がミズノワンピースで銀メダル獲得

2016

リオデジャネイロオリンピックにて、ミズノトラッククラブ飯塚翔太選手が銀メダル、ミズノスイムチーム星奈津美選手・小堀勇氣選手が銅メダル獲得

2017

秋篠宮殿下がミズノテクニクスご視察

2018

「ワールドマスターズゲームズ 関西」メジャーパートナー契約

平昌オリンピックにて、小平奈緒選手がミズノワンピースで、スピードスケート女子で初の金メダル獲得

2020年代

サステナビリティと革新で次代を支える

カーボンニュートラルの実現を目指す取り組みやイノベーション拠点の稼働も開始。スポーツの未来と社会課題の両方に向き合う時代となっています。

2020

水野明人が旭日中綬章受章

2021

2020東京オリンピックにて、日本の15競技団体のサプライヤーとしてウエア・シューズなどを提供
ミズノトラッククラブ飯塚翔太、金井大旺部員が出場
ミズノスイムチーム青木玲緒樹部員が出場

サステナビリティ活動を加速、2050年にカーボンニュートラルの実現を目指す

2022

イノベーションセンター<MIZUNO ENGINE>稼働開始

北京オリンピックにて、スピードスケートで高木美帆選手がミズノワンピースで4つのメダルを獲得(金/1、銀/2、銅/1)

2023

「ミズノケーンST」が日経優秀製品・サービス賞 最優秀賞受賞

2024

パリオリンピックにて、日本の15競技団体のサプライヤーとしてウエア提供
ミズノスイムチーム青木玲緒樹・白井璃緒部員が出場
ミズノトラッククラブ飯塚翔太・ディーン元気・佐藤風雅部員が出場