コラム
スポーツの美しさ、自己犠牲の力
スポーツはただ勝敗を競うだけのゲームではない。鍛え上げられたアスリートの力と技、そして心と心がぶつかり合うからこそ、見る者に感動を与えることができるのだと思う。
ただ、スポーツのすばらしさとは何かを考える時、私は長く携わってきたソフトボールに根付く特別な精神に思いをはせるのである。
それは、自己犠牲の心だ。ソフトボールと野球には、犠牲バント、犠牲フライと呼ばれる競技特有のプレーがある。たとえ自分がアウトになっても、好機を広げたり、後に続く選手に道を開いたりすることでチームに貢献する。仲間のために自ら犠牲となるプレーがルールに組み込まれているのは、他競技にはあまり見られない魅力だと私は感じている。
これらのプレーは、目先の勝利だけが全てではないことを教えてくれる。その背後にある献身、その一歩先にあるチームの未来が何よりも大切であると示してくれる。ひとりの犠牲が、全体の希望に代わり、その小さな犠牲が、大きな勝利へと繋がっていく。「みんなのために」「チームのために」と練習を重ね、試合を戦ううちに連帯も深まっていく。そんな光景を何度も目の当たりにしてきたからこそ、私は、スポーツは単なる勝ち負けの世界ではなく、人として大切な「深い絆」を育む場であると思うのだ。
自分を超えて仲間を支え、共に目指す勝利というゴールに向かってみんなで走り抜ける。どんな瞬間にも、自己犠牲と言う名の勇気が息づいている。その尊さと美しさを私は全ての人に伝えたい。
ソフトボールを通じ、教え子たちは「他者を思いやる心」「ともに戦う仲間の力」のすばらしさを学んでくれたと思う。まさに、勝利以上に大切なことをスポーツが教えてくれたのだ。
ミズノスポーツ振興財団には、スポーツを愛する仲間の伴走者として、スポーツの魅力を発信する基地の一端を担って頂きながら、スポーツが「文化」として認知される環境づくりに向けて、更なるお力添えをお願いしたい!
スポーツは楽しい
『スポーツはゲームを楽しむもんだ、練習ばっかりしても面白くないぞ』。中央大学に入学して選択したラグビーの授業で、桑原寛樹先生は最初にこうおっしゃって、ランニングやパス、受け身の練習をした後、3回目の授業で本格的なタックルはしないタッチラグビーのゲームを行った。中学、高校で野球や柔道の部活をしてきたので、試合をするのはしばらく練習を重ねてから。怪我することもあるから十分なトレーニングとゲームの形を覚えてからしかしないだろうと思い込んでいたので、私は考えの違いに大変驚いた。
桑原先生の大変合理的な考えに惹かれ、先生の主催する「くるみラグビークラブ」に入部した。入部してまた驚き。グランド整備やボール磨きは上級生の仕事。最も驚いたのは、最初のミーティングでの挨拶で、『一年生の皆さんが先輩と一緒の練習で最後までついて行く事が出来たら、それは上級生が手抜きの練習をしているということだ。上級生が必死で練習していたら、皆さんは途中でついて行けなくなる筈だよ。だから途中で付いていけなくなったら休んでいい。ただし、今日は30分付いていけたら、明日は31分、明後日は32分と少しずつ伸ばしていけばいいよ』とおっしゃった。それまで経験した部活では、最後まで練習に付いていけなかったら、居残りで兎跳びなどのペナルティがあったというのに。
それからも事ある度に、『スポーツはゲームを楽しむこと。レベルが高ければ高いほどゲームが楽しくなるから、そのためにいろんな知恵を働かせて練習するんだよ』。
『世界的なプレイヤーのプレイを夢に見るまで何回も何回も見なさい。それを真似て何回も何回も練習すると、たまに出来るようになる。そうしたら今度は実際の試合で試してみなさい。何回に一回は成功するよ』と楽しみながら高みにたどり着けるような教えだった。
その時の達成感は今も忘れられません。
3つのしあわせ脳内物質とスポーツ
ウガンダのカンパラにある小さなクラブでは、子どもたちの弾けるような笑顔があふれている。
勢いよく走ってきた子どもたちは、赤い土に半分埋められた古タイヤを思いっきり踏んで空中に飛び出す。そしてくるりと鮮やかな宙返りして着地する。ロイター板の代わりが古タイヤというわけだ。
成功した子どもたちのこぼれるような笑みを見ているとこちらまで楽しくなってくる。器具はなくても立派な体操だ。何かができるようになったり、目標が達成できた時の歓びは万国共通だ。
人間が楽しさや幸せを感じる時には、脳内では3つの脳内物質が分泌されていると言われている。
その一つがスポーツで勝った時などに出てくるドーパミンだ。今まで練習してきたことが成功した時や勝利の瞬間、さらには努力してきたことが褒められた時にも出てくる。
二つ目はオキシトシン。スポーツで得られるものの一つに、他の人とのつながりによってもたらされる幸福感がある。仲間や指導者との信頼関係など、一緒にいて楽しいと感じるとき、脳内ではオキシトシンが分泌されている。
三番目の幸せを感じる脳内物質はセロトニンだ。セロトニンは心と身体の幸福を感じるときに出ている物質で、「なんて爽やかな朝だろう、気持ちがいいなあ」と感じたり、森林を歩いている時の静かな満足感や清々しい気持ちの時がこれに当たる。セロトニンが不足しているとイライラしたり怒りっぽくなったり切れやすくなる。ある意味、幸せな生活を送る時の基本になるのがこのセロトニンと言える。
いかがだろう、スポーツには人が幸せになり楽しいと感じられる要素がたくさん詰まっている。
ただ気をつけなくてはいけないのはドーパミンによる興奮を求めすぎると依存性が高くなってしまい、他の二つのしあわせ脳内物質を犠牲にしかねないという事だ。スポーツは人生を豊かにしてくれるものという考えを常に頭の中に持っていると、スポーツへのかかわり方が変わってくるのではないだろうか。
スポーツの普及にかかわる仕事は「しあわせ運びやさん」と言いかえることができるかもしれない。ミズノスポーツ振興財団は笑顔makerだ。
スポーツは多様多彩に楽しめる
競技、競闘、運動、体育、遊戯....。150年ほど前、諸外国からさまざまな形で日本に「スポーツ」が次々と伝来した時、ピタリとはまる邦語が見つからなかった。
無理して表現を探すよりも、和訳せず「スポーツ」そのままでも良かっただろうが、各所で外国人から母国での活動の様子を聞き、そのニュアンスを当てはめた。
興味深いのは漢字表記の一つ々々に「スポーツ」の特徴が盛り込まれ「スポーツ」は愛好する人それぞれの年齢や目的によって多様、多彩に親しめるのを示していることだ。
「スポーツ」の素晴らしさはそこにある。競闘と勇ましく捉え熱中しようが、日常生活のツールとしてのんびり取り組もうが「スポーツ」の極意はその一点につきる。訳者たちは鮮やかに日常における「スポーツ」を見つけた。
底に流れるのは爽快感。「SPORTS」の語源も年代、地域などで無数に近い解釈を聞くが「気晴し」の意から転じたとする説は、健康志向の高まる現代社会に活かせる重要な視点だ。
散歩道であれ、ジムであれ、近代装備のスタディアムであれ、開放感に満ちた時間、空間で味わう思い々々の姿はスポーツそのものである。
人々が「スポーツ」に関わる範囲が広くなった。メディアが大きな力を示す。用具の研究に打ち込むミズノもトレーニングウエア、シューズなど数え切れぬ製品にスポーツの素晴しさを伝えるメッセージを託して世界をかけめぐるメディアであろう。
選手のユニホームと同じデザインの“衣装”で沸く光景など「スポーツ」は冒頭に書き並べた字句では収まり切れぬ要素を加えた。
スポーツの楽しさは無限大に拡がっているーー。